KEIZOKU⑪ 3年目
うぐいす会です。
東日本大震災から3年。
皆さんは日常でまだ“震災”を感じること、
思い出すことってありますか?
自分たちの行動が“震災”を風化させないきっかけになれば、
そんな想いで続けているKEIZOKUシリーズ。
立ち止まらない そんなスタンスが、
気付けば給水、給水、ラン、給水、給水、ラン…
ってなペースになってますよね。
個人としては、色々続けてるのですが、
大きく法人の名を借りてとなると、
今のタイミングで大きく何かを打ち上げるのって、
そこそこ難しさを感じている今日この頃です。
でも、何度も繰り返すように、
この発信が、誰かの 何かの きっかけになってくれれば、
それで十分に続ける意義はあると思うし、
やっぱり、立ち止まれない ですね
ってことで、昨年に引き続き千葉県旭市を献花で訪れました。
この日もサーファーが波と戯れ、
ごく当たり前の九十九里の海といった感じでした。
しかし、ここ千葉県でも震災は未だ進行形、
まだ仮設住宅で生活されている方が多くいらっしゃいます。
昨年末の記事ですが、産経ニュースに載せられた旭市の記事を紹介。
東日本大震災で16人が犠牲になり、約1300世帯が全半壊した千葉県旭市。高さ7・6メートルの津波が押し寄せた飯岡地区の海岸沿いは、発生から2年9カ月が過ぎた現在も空き地が目立つ。
住宅再建の現状は依然として厳しい。市のアンケートでは、津波で自宅を失った被災者世帯のうち約7割が「震災前と同じ場所に住みたい」と回答した。だが、高齢化が進む同地区では子が独立して別居している世帯も多い。仮設住宅の老夫婦は「いまさら新築もできない」と話す。
現在76世帯が暮らす市内の仮設住宅は来年5月が入居期限。自力の住宅再建が難しい被災者の受け皿として、市は災害公営住宅(復興住宅)を今年6月に着工した。33世帯が入居できる集合住宅で、場所は海岸から約1キロ離れた仮設住宅の隣接地。来年3月に完成するという。先ほどの老夫婦が「年金生活でも安心して暮らせるのはありがたい」と話すように、ようやく被災者の生活に平穏が訪れようとしている。
かたや飯岡地区で商売を続ける人たちにとってはこれからが正念場だ。工場が全壊した米菓製造業「山中食品」が今年4月、約2年ぶりに生産を再開し、復興の象徴的な話題として各メディアが取り上げた。
「あきらめていたら、そこで終わりだったかもしれない」。そう語る山中武夫社長(61)の信念に触発されたかのように、その後も復興への取り組みが活発化。地元産のサツマイモを使った焼酎「飯岡芋焼酎」、地域の民話をモチーフにした土産品「天(あま)の石(いわ)笛(ぶえ)」、特産品を詰め合わせた「あさひ福(ふっ)幸(こう)弁当」の開発、商品化の話題が相次いだ。ただ、各グループの代表らが「町から人が消えた」「人が集まる場所に戻したい」と異口同音に語ったのが印象的だった。これが被災地の現状であり、生活している人たちの共通の願いではないだろうか。
来年4月には休業中の旧国民宿舎「いいおか荘」が再開する。夏の海水浴場がかつてのにぎわいを取り戻し、「目に見える形の復興」の第一歩を踏み出してくれることに期待したい。(城之内和義)=終わり
(2013.12.25 MSN 産経ニュース記事)
誰かに何かを押し付けているってことじゃありません。
ただ、ただ、小さくてもいい、何かのきっかけになってくれれば…
想う、感じる、考える…
そう、思考を立ち止まらせないだけで、生まれる何かがきっとある。
そう信じて発信を続けていこうと思います。
東日本大震災から3年。
皆さんは日常でまだ“震災”を感じること、
思い出すことってありますか?
自分たちの行動が“震災”を風化させないきっかけになれば、
そんな想いで続けているKEIZOKUシリーズ。
立ち止まらない そんなスタンスが、
気付けば給水、給水、ラン、給水、給水、ラン…
ってなペースになってますよね。
個人としては、色々続けてるのですが、
大きく法人の名を借りてとなると、
今のタイミングで大きく何かを打ち上げるのって、
そこそこ難しさを感じている今日この頃です。
でも、何度も繰り返すように、
この発信が、誰かの 何かの きっかけになってくれれば、
それで十分に続ける意義はあると思うし、
やっぱり、立ち止まれない ですね
ってことで、昨年に引き続き千葉県旭市を献花で訪れました。
この日もサーファーが波と戯れ、
ごく当たり前の九十九里の海といった感じでした。
しかし、ここ千葉県でも震災は未だ進行形、
まだ仮設住宅で生活されている方が多くいらっしゃいます。
昨年末の記事ですが、産経ニュースに載せられた旭市の記事を紹介。
東日本大震災で16人が犠牲になり、約1300世帯が全半壊した千葉県旭市。高さ7・6メートルの津波が押し寄せた飯岡地区の海岸沿いは、発生から2年9カ月が過ぎた現在も空き地が目立つ。
住宅再建の現状は依然として厳しい。市のアンケートでは、津波で自宅を失った被災者世帯のうち約7割が「震災前と同じ場所に住みたい」と回答した。だが、高齢化が進む同地区では子が独立して別居している世帯も多い。仮設住宅の老夫婦は「いまさら新築もできない」と話す。
現在76世帯が暮らす市内の仮設住宅は来年5月が入居期限。自力の住宅再建が難しい被災者の受け皿として、市は災害公営住宅(復興住宅)を今年6月に着工した。33世帯が入居できる集合住宅で、場所は海岸から約1キロ離れた仮設住宅の隣接地。来年3月に完成するという。先ほどの老夫婦が「年金生活でも安心して暮らせるのはありがたい」と話すように、ようやく被災者の生活に平穏が訪れようとしている。
かたや飯岡地区で商売を続ける人たちにとってはこれからが正念場だ。工場が全壊した米菓製造業「山中食品」が今年4月、約2年ぶりに生産を再開し、復興の象徴的な話題として各メディアが取り上げた。
「あきらめていたら、そこで終わりだったかもしれない」。そう語る山中武夫社長(61)の信念に触発されたかのように、その後も復興への取り組みが活発化。地元産のサツマイモを使った焼酎「飯岡芋焼酎」、地域の民話をモチーフにした土産品「天(あま)の石(いわ)笛(ぶえ)」、特産品を詰め合わせた「あさひ福(ふっ)幸(こう)弁当」の開発、商品化の話題が相次いだ。ただ、各グループの代表らが「町から人が消えた」「人が集まる場所に戻したい」と異口同音に語ったのが印象的だった。これが被災地の現状であり、生活している人たちの共通の願いではないだろうか。
来年4月には休業中の旧国民宿舎「いいおか荘」が再開する。夏の海水浴場がかつてのにぎわいを取り戻し、「目に見える形の復興」の第一歩を踏み出してくれることに期待したい。(城之内和義)=終わり
(2013.12.25 MSN 産経ニュース記事)
誰かに何かを押し付けているってことじゃありません。
ただ、ただ、小さくてもいい、何かのきっかけになってくれれば…
想う、感じる、考える…
そう、思考を立ち止まらせないだけで、生まれる何かがきっとある。
そう信じて発信を続けていこうと思います。
by uguisukai
| 2014-03-18 00:29
| ☆地域貢献活動